言葉じゃ足りないけど、ありがとう。
こんにちは。
冬の寒い中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
とても寒いけれども、松竹座に通うもよし、帝劇に通うもよし、ドームツアーもzepp ツアーもよし。
私の周りは常にメラメラと活気付いているような気がします。
あちらこちらに熱い冬で何よりです。
寒いんだから自分で温めていかなきゃね(笑)
2018年、私にとって本当に濃い1年でした。
人生で一番空っぽで、それでいてめまいのするような濃い日々でした。
今回筆を取ったのは、この今年1年の経験を忘れたくなかったからです。
それから、大好きな古謝くんと、古謝くんのおかげで出会った大好きなお友達に大きな感謝を伝えたかったから。
自分ごとがかなり長くなるのと、ちょっと重い内容になるので、ファンレターには「いつもありがとう」としか書けなかったけど、ここでなら書けるかなぁと思って。
まぁ、古謝くんはきっと見ないだろうけど、自分の気持ちを忘れないためにも筆をとりました。
そんなこんなで、このブログはヲタクごとでもあるんだけど、8割くらい自分の話です。
お付き合い頂ける方だけ先に進んでもらえたらなぁと思います。
あと今日暇だなぁ~読んでやるかってノリで読んでください。クソ長いです。あとマジで重いです。
もう知ってる方は知ってるかと思うのですが、私は、1年前の12月頃から体調不良が続くようになり、今年の年明けより病気休暇という形で休職しておりました。
はっきりと病名が診断されたのは3月頃で、適応障害という病気でした。
人により症状や程度は異なると思いますが、適応障害とは、自分を取り巻く環境にうまく適応できずに、体や心のあちこちに不調が出る病気です。
外へ出ることがどうしようもなく怖くなったり、ある時は他人や自分へのイライラが止まらなくなったり、ものの見方が否定的になって生きることに楽しみを見出せなくなります。
特に私が辛かったのは、その状態が極限まで達した時でした。
食べ物をどか食いしてはすぐに戻したり、かと思えばとにかく食べられずに何日も食べない状態が続いたり、美味しいものを食べればすぐに元気になれていたはずの人間にとっては、美味しいものを楽しく食べることができないのは耐え難い苦痛でした。
また、衝動的な不安に駆られて手当たり次第に市販薬や処方薬を規定量の何倍も飲んで、何も考えずにふわふわとしていられる状態に依存してやめられなくなったり、何ヶ月にも渡って10分以上の連続した睡眠が取れなくなって、日中も夜中もひたすら朦朧としている状態が続いたりもしました。
全てもうだいぶ改善されたから素直に言えることなんだけど、とにかく明日を生きている自分に希望を見出せなかった。
ああ明日もまたこのまま生きながらえてしまうんだなぁと、とにかく悲しくて苦しかった。
そして、この病気は甘えだと思っていたし、周りからも混同されやすいし、私自身弱い方でもないと思っていたので、こんな病気にかかるなんてありえないと認められず、自分のことが大嫌いになりました。
きっかけはいつだったのかわかりません。
私の職業柄(支払いを催促する仕事です)、病む人が多いことも知っていたし、毎年のように同じ部内から病休者が出ることでも有名な部署に所属していました。そのこともあっただろうし、その年から転課してきた上司ととにかく合わないのもあったかもしれません。
もしかしたら仕事だけでなくプライベートの話もなのかもしれません。
バイトも自炊もしたこともないまま高卒で大阪へ出てきて、世間知らずで苦しんでいた部分もあったかもしれないし、もう本当に何が原因なのか今でもわかりません。
そして私は、いつの間にか疲れ切って澱んでしまっていた心に気づけずにいました。
職場へ出勤しているのにどうしようもなくなって有給をとって、会議室に鍵をかけて1日中一人でこもったり、上司を呼びつけて1対1で泣きながらひどい言葉で文句を泣き叫んだり、あの時自分は正常だと思って行動していたけど、今思えば本当はもう限界でどこかおかしかったんだと思います。
たくさんの人に迷惑をかけてしまったなぁと申し訳なく思っています。
そしてある日、耳に不調を感じるようになりました。
通勤中も、家にいるときも、布団の中にこもって耳を塞いでさえいても、工事現場のような鉄パイプのぶつかる音、そして人の叫ぶ声などの騒音が鳴り響き、とにかく不快で吐き気が止まらなくなり、外へ出ることが億劫になっていました。
重い腰を上げてやっと耳鼻科を受診した結果、自分が一生関わることはないだろうと思っていた精神科に回されました。
そこで休職を強く勧められ、戸惑いましたが、似た病気に罹患していた高校時代の友人の助言もあり、休職を決意しました。
それから実家へ帰ったり、大好きな妹とふざけあったり、たくさんの映画を見たり、約11ヶ月半の間、自分の時間をとにかくゆっくりと過ごした結果、心の余裕をだんだんと得られるようになりました。
そんな日々を過ごしてきた中で、わたしは周りの人の支えや、周りの人の笑顔のおかげで成り立っているんだなぁと痛感しました。
何もできない不甲斐ない自分を好きになれない日々が続いたとき、それでも、唯一自分を好きでいられる時がありました。それがヲタクをしてる時です。
さぁここからが本題みたいなもんなんですけど(前置きの長さよ)、外へ出るのが一度億劫になってしまったら、例え調子が良い日でも外へ出る1歩が踏み出せなくなってしまいました。踏み出すことが怖かったときもあったし、めんどくさかったときもあります。
そんな時に外へ連れ出してくれたのは、大好きなアイドル、関西ジュニアの古謝那伊留くんだったんです。
自分自身のことが大嫌いだったけれど、古謝くんに会うための私を、私は唯一好きでいられることができました。前日はお風呂にゆっくり浸かり、パックをして、当日は普段しないお化粧をして、ふわふわに髪を巻いて…。
そんな風に時間を過ごすのも、そうやってフルの状態で彼に会いに行く自分も、なんだかキラキラしてて、大好きでいられました。
それから古謝くんを見ると、言葉通り、胸が踊るんです。
人間の心は、疲れると動かなくなります。
文字通り、何の感情も抱けなくなります。
だから、ひたすら虚無感に苛まれる日々を送る中で、心が動くことは本当にあたたかくて幸せなことでした。
彼のダンスに魅せられて鳥肌が立つほどに感動したり、彼の情熱につい涙したり、彼の誠実な行動と、お口を大きく開けて笑う顔にキュンとしたり。
彼を見ていると、いろんな感情が湧いてきて、ああ私、いま楽しく生きてるんだって思えたんです。
自分自身を好きでいられることは、本当に幸せなことです。古謝くんが、私が私自身を愛せる理由ときっかけを作ってくれて、モノクロだった日々を彩ってくれました。
本当に古謝くんのおかげで、今があります。
古謝くん、いっぱいありがとう。
この恩は全力で声にして返していきたいと思っています。
それから、現場へ行った先で出会ったお友達や、ツイッターで出会ったお友達とお話ししてるのも本当に楽しかった。
一緒にご飯に行ったり、鑑賞会をしたり、とにかく心が動き、潤う時間でした。
お友達も、たくさんありがとう。
もし古謝くんとお友達の支えがなければ、私は今頃どうしていたんだろうと思うと怖くて涙が止まらなくなります。いま生きていたかも分からないなあと思います。
これは大げさではなくて、今年のお誕生日を迎えられたことに本気で驚いていたほどでした。
だけどこうしてまた、働いてお金を稼ぎ、美味しいご飯を楽しく食べて、ゆっくり寝て、たまの現場を全力で楽しみ、他の人と同じように暮らしていける今がある。
涙が止まらなくなるほどに私は古謝くんとみなさんへ感謝しています。
なんだろう…言葉でなんか表現できないけれど、とにかく、とにかく感謝しています。
止まっていた心をたくさん動かしてくれて、潤おしてくれて、暗闇の中から引っ張り上げてくれて、本当にありがとう。
そしていま私は、この暗闇を前向きに捉えられるようになりました。
前に進んだだとか、実りある1年だっただとか、そんなことはとても言えないけれど、次に実るためのつぼみをたくさんつけられた1年だったんじゃないかなぁと思います。
立ち止まり、振り返ることでしか見えないものがたくさんありました。
長い時間の中で、そのひとつひとつに向き合い、ひとつひとつの答えをゆっくり丁寧に見つけることのできた私は、今までのどんな自分よりも強いと思います。
そして、そんな風に力を蓄えた自分自身をとても大切に思えています。もう大嫌いなんて言わない。
花を咲かせるためには、つぼみが必要不可欠です。
この病気が完治するまでには、まだ通院も投薬治療も必要で、もう少し時間がかかるようですが、いつの日かきっと、この経験を糧にした大きな花がたくさん咲きますように。
それから、この病気は誰にでも起こりうる病気です。
私自身、自分は関係ないと思っていたし、実際診断されてからも信じられずにいました。
これといったきっかけにも気づきにくいし、ほんの些細なことでだんだんと歯車が噛み合わなくなり、いつのまにか苦しくなる病気です。
どこも簡単にお休みを取れたり、休養したりができる世界ではないことは分かっていますが、なんだか疲れたなぁと思った時は一旦距離を置いてゆっくりすることも大切なひとつの手段だと思います。
それから、ありがたいことに現代の医療技術は発展しています。
不眠や気分の落ち込みに悩んだら、それを晴らしてくれるお薬もあります。それらに頼ることで、毎日を劇的に過ごしやすくしてくれます。
もし悩んでる人がいらっしゃったら、思い詰める前にどこかに吐き出して欲しいなぁと思います。
気の利いたことを言えるか分かりませんが、もちろん私でも構いません。
友達や大切な人にこんな辛い経験は絶対にしてほしくないです。
というわけで、最後まで読んでくださってありがとうございました!
今年はたくさん支えてもらった分、来年は誰かをたくさん支えてあげられる1年にしたいなと思っております。
そして、改めて。
古謝那伊留くんはじめ、関西ジャニーズジュニアのみなさん、それからアイドルの皆さん。
生きる希望をくれてありがとう。
みなさんは誰かの希望であり、勇気であり、光にだってなれます。
今日もアイドルとして輝き続けてくれてありがとう。
これからも全力で応援させてください。
それでは、今年もお世話になりました。
また来年もよろしくお願いいたします!!